大作曲家だって、嫌な思いが沢山あった


ここ数日、風邪で点滴などをして過ごしたので、安静にしている間、突如頭を過ったショパンのこと。
幸い、この4日間はレッスンお休みなので、回復に努めていますが、体調が思う様でないというのは、本当に辛いものです。福島県を襲った不測の事態については、日々心を痛める中で、勿論、放射能関連の書籍は、小出氏ほか、信頼出来る著者のものを選んで知識を入れていますが、ここでは今は触れません。

ロシアの圧政下のポーランドに生まれたショパンは、パリから経由地を経て静養の為に向かったマヨルカ島への船の中で、咳をしていて、人々から酷いめに遭いましたし、島についてからも、サンドが宿泊場所として手配していた家から、(家具もろとも焼かれ)修道院に移り住む羽目となり、酷い雨季(湿気と寒さで病状悪化)だったことも相まって、散々な旅となりました。
しかし、「24の前奏曲」が生まれています。

その後、手に取ったベートーヴェンの評伝からは、著者の青木やよひ氏(ベートーヴェン研究50年余)が、大腸ガンで苦しまれている最中に書かれた最後の書物だったことを知り、他の著作も読んでいたので、驚きと共に、力強い、ライフワークへの責任感をみて、心から頭が下がる思いでした。

悔しくも2009年11月末に亡くなられたのですが、その本のあとがきは、同年同月に書かれていました。まさに集大成の仕事となったのでしょう。どのような気持ちで取り組まれたのだろうと、思い巡らします。

あとがきには、青木さんが、農薬中毒に由来するガンで苦しまれることによって、
「むしろ、生涯病に苦しんだベートーヴェンをより深く理解する視点が獲得できたのではないかと感じている。病苦にさいなまれる度に彼がなぜ傑作を生み出したのかという長年の謎が解けたように思われる。死に直面することによって人ははじめて自分の存在意義を明確に自覚し、自己に託された仕事をなしとげずにはいられないという強い意志に動かされる。そして彼のその境地を私は共体験したのだった。」と書かれてありました。
多少長い引用をしましたが、あとがきであることと、絶筆の書をご紹介する意でご容赦下さい。

そう、その不屈の精神こそ、私がベートーヴェンが好きな理由であります。
難聴に苦しむ彼が、1802年に書いたハイリゲンシュタットの遺書は、「これにより生を絶ちます」ではなく、「(かくかくしかじかにより)乗り越えます。」の決意表明だからこそ、傑作が生まれたのです。

何を伝えたいかというと、この情勢により福島県への差別(私は当初それを他の方から耳にした時、まさか、そんなことないよ、と思っていました。けれど、日が経つにつれ、はっきりとわかる形ではないにせよ、やはりそれはあるのかも知れない…と思う様になりました。食物の話ではありません。)を、もし感じることがあっても、自分たちが引き起こした事態ではないのですから、格差など在っては堪らなく、心を強くもっていなければ、と大作曲家の生き方から励まされた気がしましたsign01.gif

残念ながら、3.11より前に時間を戻す事は出来ません。ですが、人の精神(スピリット)は、変わらないで持ち続けることが出来ると思います。

また、音楽史を知る事で、単に、作曲家や曲の理解に踏みとどまらず、そこから、長い時が過ぎても価値のある偉業を残した大作曲家の「生き方」から学ぶ事は多々ありますね!

写真は南ドイツのもの。クリック拡大します。ベートーヴェンゆかりの画像がデジカメには無かったのでcoldsweats01.gif

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Filed under: 書評,音楽史 — 11:58 PM
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5 Comments »
  1. その後、体調はいかがですか?お見舞い申し上げます。
    今日のブログもとても心に染みました。昨晩、ちょうどベートーヴェンの悲愴を生徒にレッスンしてやはりベートーヴェンっていいと改めて思っていたところでした。ハイリゲンシュタットの遺書を乗り越え宣言と理解することで、納得できます。

    コメント by yumiko — 2011年6月29日 8:47 AM
  2. yumiko先生、有難うございます♪昨日の点滴が効いたのか、おかげ様で大分回復しています(^^)
    「悲愴」の時期については、4ページ近く割かれて書いていらっしゃいました。難聴の始まった時期なのだそうですね…。「彼に苦難を与えた「運命」への作曲家としての答え」や「独特の浄福感」など、色々良い事書かれてありました!(あらっ、また引用しちゃった^^:)

    コメント by あつこ — 2011年6月29日 9:00 AM
  3. 発表会でバタバタしている間に
    こんなに体調がこじれていたんですね(涙)
    今日はいかがですか?
    私は水俣の出身で
    少なからずとも昔は差別を感じたことがあります。
    そんな経験も
    今のペルルさんのお気持ちを察する
    足しになっているなら良かったと思えます。
    お大事にね。

    コメント by ミカ — 2011年6月29日 9:39 PM
  4. ミカさん、有難うございます!大分回復して来ています♪
    先日は、七夕発表会、ご盛会おめでとうございます!生徒さんの素敵な四季の絵が、貼ってありましたね〜(^^)「スカラムーシュ6手」や、「素直に弾んでカーニバル」の合奏編など、すぐにアレンジ出来ちゃうミカさんは、凄いです!
    そうですか…、水俣も、工業からの問題で、辛い思いをなさった地域ですよね。本当に、環境からの大きな問題は、個人の力では到底どうにもならない所が辛いですよね。気持ちに寄り添って頂けて、とても嬉しいです。

    コメント by あつこ — 2011年6月29日 10:51 PM
  5. […] 「大作曲家だって、嫌な思いが沢山あった」 http://www.perle-piano.net/wp/?p=16246 Filed under: 震災 — admin 12:05 AM […]

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