ベートーヴェンの昇りつめた高み(シフリサイタルにて)

2月20日、紀尾井ホールで行われたシフのベートーヴェンプログラムについてです。

ベートーヴェン:ピアノソナタop109〜op111(第30番〜32番)
(休憩無し、曲間も立ち上がらず切れ目無く集中した演奏。ピアノはスタインウェイ)

アンコール
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 第1番
3声のシンフォニア 第9番
平均律クラヴィーア曲集第2巻 第11番
〜〜〜
18時を、6,7分過ぎてシフがステージに登場するのを待つ間、客席は期待感の込められた緊張感で満たされていました。op109が始まるやいなや、それまでの無音の緊張が解け、ただならぬ美しいテーマで音が層になっていく様を、その決定的な瞬間に固唾を呑み込み、あちら側の世界へと入って行きました。

全てを把握しながらも、まさにその瞬間に、演奏者自身が感動しているという振動が、手に取る様に伝わって来、その感動を一緒に味わおうと、全身を耳にしました。椅子に座っている感覚など、すっかり無くなっていきました。

最愛のアントニア・ブレンターノの娘、マクシミリアーネ・ブレンターノに捧げられたこのソナタ。

「強い語調だけでは、人の心に沁み通らない」という或る作家の言葉がありますが、op109の冒頭の入り方など、即興的に心から歌われる分散和音から数ページ、まさに最上のものでした。(冒頭がdolceだった事を改めて再認識しました。)その音楽には全てがありました。

op110では、表現の仕方を割と冷静に聴いてしまったのですが、1楽章の32分音符のスタッカートは、アクセントであるというのが、どの様に奏されるのか等々、良く聴くことが出来ました。足を踏み鳴らしての迫力の2楽章、フーガの素晴らしい3楽章では、このソナタの本質を捉える事が出来た様に思います。

op111は、紛れもない最高傑作で、ベートーヴェンの到達した精神的な高みに、襟を正しました。アリエッタからの変奏は幻想的で、シンコペーションからトリルに向かう所など、彼岸の幻のような白鳥の歌でした。

これらと対峙するのに、充分な時間を費けたシフ。バッハ、モーツアルト、シューベルトの録音の後に、渾身の気概で取り組まれています。

こうした素晴らしい演奏会から受け取るものは多大であり、「演奏」を越えて、「生き様」をみるかのようでした。漫然と過ごしてしまいそうなこの毎日を、心を失う事の無い様、大事なことに気づかせて頂きました。

アンコール3曲では、その日の教会風の衣装(シューベルト・プロでは、スーツ)と同様に、曲目の精神性・宗教性とバッハへの敬意が込められていました。ペダルを使わず、3曲目のF durでは、爽やかな微笑みがこぼれ落ちるかの様に幕を閉じました。

このベートーヴェンを聴いていて、やはりバッハを勉強しないと…と痛切に思いました。

このリサイタルに至っては、9月半ばから、良い席を取っていたので、本当に近くで、音楽に接することが出来て、感動もひとしおで、涼しい顔では聴けませんでした。5日の間に2つのプログラムを聴いた訳ですが、今度は本当の最後。またいつ聴けるかと、誠に寂しい気持ちがしました。

生き方に繋がる演奏…「演奏する」ということの本質に接する事の出来た演奏会でした。

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Filed under: ピアニスト,リサイタル,音楽 — 12:18 PM
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