シューマン:歌曲集「女の愛と生涯」をめぐって(ゲルネのリサイタル)

ゲルネというと、玄人の間では現代の至宝とまで謳われていますが、ピンと来ない方もいらっしゃるかもしれませんので、シュワルツコップフとフィッシャー・ディースカウに師事したということを一言付け加えておきます。

さて、「女の愛と生涯」は、シャミッソーの詩に付けられており、一人の娘が好きな人が出来て、結婚、出産、そして夫と死に別れるまでを描いたものです。

プログラムノートによれば、19世紀の家父長制の中で生きる女性の理想像を男性側いたとあり、西ヨーロッパの女性歌手の間では、毛嫌いされているそうなのです。私は、この曲集を生で聴いたことがなく、ただチラシにもそういった事が記してあった為、イプセンの「人形の家」のノラや、モーパッサンの「女の一生」などの様に抑圧されたあまり幸せではない女性像を想像していました。 

しかし、この歌曲に出てくる女性は、ステレオタイプに描かれた都合のいい女性像、というふれ込みをよそに、大変に幸せであっただろうと私は思ったのです。字幕で対訳が出ていまたが、凄くけなげで、家庭の中に幸せを感じ、指輪を見ては喜び、愛児の出産に際しては高揚し、そしてしみじみと満たされた幸福感を噛み締める。そして最後に、「初めての苦しみが、夫が亡くなったとき」というのですから、それは、女性として最高にしあわせな生涯であったであろうと思うのです。

涙が出た訳は、その詩の女性の感情には共感する所があったからです。この曲集における心理描写は巧みで、表現が大変デリケート…とその時はまだ知らず誘発されてしまいました。。
 

  ゲルネが何年も前に初来日した際でしたか、私はシューベルトの「冬の旅」を聴きに行ったのに、ゲルネの急病により、急遽、その日伴奏だったブレンデルのリサイタルに様変わりした公演を聴くことになり、ゲルネのCDだけ買って帰って来た苦い思い出があります。

CDでは、やはり凄さがそこまで掴み取れず、それ以来何度も来日されていた様ですが行った事がなく、この度8年位経って、生で初めてゲルネを聴いた訳です。
ひょんなことから行く事が決まったゲルネのリサイタルでしたが、シューマンの歌の年の謎も私の中で随分解け、収穫に満ちたリサイタルでした。

 

エマールのピアノも知的なアプローチで、プログラム後半(リーダークライス)になるにつれ、活き活きと多彩な表情を見せ、ゲルネとまさに切磋琢磨し合って創り上げた音楽!という雰囲気でしたし、二人がひしと抱き合ってお辞儀する様子からも、素晴らしい信頼関係が伺えました♪

シューマンの歌曲は、ピアノと歌い手が一体となって紡ぎ出す世界。詩人と作曲家の存在が、まず先にあります。純文学を読んでいるかのような世界でした。

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Filed under: リサイタル,音楽,音楽史 — 12:00 AM
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